最近、「小児はりをしていますか?」というお問合せが増えています。
とはいえ、東京ではまだまだ知名度の低い(であろう)小児はり。
その歴史ははっきりしていませんが、江戸時代には大阪の地に「小児針」の文字が見られることから、「大阪を中心に関西に広まった小児専門の鍼治療」と考えられています。
今日はそんな「小児はり」と、それに関連する話を少し書いてみたいと思います。
~小児はりの施術例~
私が小児はりをした一番若い子は、まだ2ヶ月の乳幼児でした。
その時は、「健やかに育ってほしい」ということへの施術でした。
小児はりは、軽度の皮膚刺激を通して子供の神経を活性化させ、その成長をサポートする力があります。
もちろん、
かんむし、夜泣き、おねしょ、風邪、アトピー性皮膚炎、喘息、斜視、下痢、発達障害、てんかん、自閉症、不安神経症、トラウマ・・・色々みてきました。
子供に不安を与えないように話をしながら、「痛い」と思われないように優しく鍼をします。
また、長い時間では子供は飽きてしまうので、数分が勝負です。
小児はりを続けていくと、肌の色艶もよくなり、食欲も出、諸症状の緩和も感じられます。
子供には子供ならではの症状がありますが、それは大人にもみられるものです。
大人だって、急に泣き出す人、お酒を飲むと泣く人、不安で眠れない人、たくさんいます。
そういう方にも、小児はり(この場合は「接触鍼」と呼ぶ方がいいかも)は大いに役立つでしょう。
~東西で有名な小児の名薬~
「あかちゃん夜泣きで困ったなー、かんむし乳吐き弱ったなー、ひやひや、ひやの、ひやーきおーがん」
みなさん、この歌をご存知ですか?
関西人なら、まず知らない人はいないぐらいコマーシャルでよく流れた歌のひとつです。
ほんまによく耳にしました。
これは、大阪の樋屋製薬さんの「樋屋奇応丸(ひやきおうがん)」のことで、小児のためのお薬として愛用されています。
歴史は古く、江戸時代初期(元和8年・1622年)に大阪で発売を始めたそうです。
その原型は、さらに古い「奇応丸」にあるそうです。
奇応丸は、鑑真和尚(唐から来た僧侶)が伝えた漢方薬とされています。
私は関西人ですので、この樋屋奇応丸しか知りませんでしたが、東には「宇津救命丸」があるそうですね。
栃木の宇津家に伝わる伝統薬で、歴史を調べると元和年間に製薬がはじまったと考えられています。
その処方と適応症は、樋屋奇応丸と似通ったところがあり、おそらく当時の漢方薬処方の一つが伝承されてきたのでしょう。
今も昔も、赤ちゃんの「夜泣き」「かんむし・疳虫」「乳吐き(吐乳)」「消化不良」「発熱」「下痢」などに悩まされた親は多く、その悩みに少しでも応えるためにこれらの伝統薬が今も愛されているのでしょう。
~江戸時代の小児鍼師~
大阪の東住吉に「針中野」という町があります。
また、近鉄と南海線には「針中野駅」もあります。
名前の由来は、平安時代から代々この地で鍼治療をしてきた「中野家」にあります。
現在は「中野鍼灸院」という屋号で鍼灸をされている、とても由緒ある鍼灸院で「中野の鍼」として有名で、中野家41代目が近鉄線の開業に協力したことから、その近くに「針中野駅」を作ったとされています。
この中野の鍼は「小児鍼」でも現在でも有名なのですが、宝暦13年(1763年)に発刊された「摂津平野大絵図」に、「中野村小児鍼師」という記載があります。
つまり、中野家は小児鍼師として江戸時代には認知されており、小児鍼(小児はり)が大阪を中心に広まったと考えられる根拠のひとつと考えられています。
~現代の小児はり~
私が通った鍼灸専門学校には、小児鍼を専門(あるいは得意)とされる先生方が多数おられました。
小児鍼そのものは、国家資格で必要なものではないため、メインの授業では行いませんでしたが、時々その技術を学ぶ機会はありました。
教えてくださる先生方には、それぞれの技術と、それに合った道具があり、一言で「小児鍼」と言っても様々あることも学びました。
「もぐらの手」でひっかくような技法をする先生や、歯車状の道具で皮膚を転がす先生、独特な形状の太い鍼で撫でるような技法を用いる先生、大人に使う鍼でトントンと叩くように(刺さない)する先生・・・色々学ぶ縁をいただきました。
卒業の頃には、「小児はり学会」も誕生し、先生方はもちろん、同期や後輩たちが今も活躍しています。
小児鍼の大半が「刺さない」技術で、大人にする鍼よりもとても軽い刺激ですがとても心地よく、軽い刺激なのに体に変化が現れるのが大人でもわかるほどです。
現代では、「ひっかく」「なげる」「たたく」「さする」といった小児鍼の技術に特化した道具も多く販売されており、関西だけではなく日本全国、世界にも広まりつつあります。
(写真はポーランドで現地の鍼灸師に小児はりを教えた時のもの)
私は、東日本大震災の時、鍼灸ボランティアをするために単身で宮城へ通いました。
その時に重宝したのが「小児はり」および「接触鍼(刺さない鍼)」でした。
破壊的な状況に、子供たちの心は大きな傷を負いました。
笑顔でいても、夜になると眠れない子や、不安で泣き出す子も少なくありませんでした。
そんな子供たちに、私の旅の話や、関西のおいしい食べ物の話などをしながら、小児はりを続けました。
翌日に避難所へ行くと、親御さんから「便秘だった子供の便が出ました」とか「子供がスッと寝てくれました」と言った報告を受け、小児はりの可能性を強く感じた思い出があります。
その時に応援してくださったのが、母校の先生方であり、小児はり学会であり、お世話になった小児はりの先生方でもありました。
「小児鍼」「小児針」「小児はり」「小児ばり」、さまざまな呼び名がありますが、どれも同じです。
お子様のことでお悩みの方は、ぜひ一度小児はりを行っている鍼灸院の門を叩いてください。
小児はりに、東の「宇津救命丸、西の「樋屋奇応丸」も併せるとなお良いですね!!
和氣香風
鍼灸師 山本浩士