旅する鍼灸師の山本浩士です。
前回、お茶に関するコラムを書きました。
そこから、何人かに質問も頂いたので、「茶」について少し書いてみます。
茶の歴史はとても古く、浅学な私の知識ではとうてい測り知ることは出来ません。
新しい知識を得たら、またその時に訂正、加筆を加えて行きたいと思います。
前回書いたものは、神農本草経と本草綱目から抜粋したため、嗜好品としての「お茶」というよりも、薬としての「茶」について書いています。
《茶の起源》
まず「お茶」について考えるなら、中国は外せません。
お茶の起源は諸説ありますが、紀元前に雲南省、貴州省あたりで「茶樹」が発見された事に端を発すると考えられています。
茶樹の起源は2億年以上前から6500万年前頃と考えられています。
紀元前3400年頃に、神農が茶樹と出会い、そこからお茶の歴史が始まったと考えられています。
しかし、神農本草経を読んでも「茶」という文字は見当たりません。
前回のコラムに挙げたように「苦菜」のことだと考えられてはいますが、それも定かではありません。
ただ、相当古い歴史を持っていることは事実です。
《茶の伝播》
時代を経て、茶は世界各地へと広まっていきます。
ひとつは、福建から海を通じて広まったルート。
このルートでは、主にヨーロッパへ繋がって行きます。
福建では茶を「テ」と発音したため、欧米では「Tea」と呼ぶようになったそうです。
もう一つは、広東省、雲南省あたりから「茶馬古道」と呼ばれた陸路を通じて、チベットへと繋がって行くルートです。これを「茶のシルクロード」と呼びます。
広東省あたりでは、茶を「チャ(Cha)」と発音するため、この陸路で広まった地域では「チャ」あるいはそれに近い発音をしていきます。
日本もその分類に属しますが、オランダやイギリスとの交易もあったため、「◯◯ティー」という発音もありますね。
ちなみに、ヨーロッパへ最初に伝えられた茶は、今でいう「緑茶」だったと考えられています。
オランダとポルトガルは、航海術に長けていたため、東アジアを経由して中国、そうして日本へとやってきました。
そこで、日本の「緑茶」を気に入り、たくさん輸入したという話もあります。
17世紀ごろの事です。
オランダで販売された「茶」はイギリスへ渡り、その後イギリスも自ら中国へとやってきます。
やがて、中国で作られていた「発酵茶(烏龍茶)」を輸入し、積極的に輸入を開始。
中国も、イギリス向けに発酵茶をどんどん生産し、どんどん売り捌いたそうです。
そこから、イギリスでは「紅茶」が人気になっていったそうです。
日本は、イギリスとの交易が盛んになる中で、イギリス式の紅茶を輸入。
そのため、「紅茶=Tea」と呼ぶようになり、「チャ」と「ティー」の2つの発音が今にも残っています。
《お茶とその種類》
現代では「お茶」はさまざまな種類があります。
日本では今でも「緑茶」が主流ですが、中国ではもっと多くの分類があります。
緑茶
青茶
白茶
黄茶
紅茶
黒茶
という6つの分類があり、その中でももっと細かく種類が分かれていきます。
神農本草経の時代、どのようなお茶を飲んでいたのかは想像の範囲でしかありませんが、様々な薬草や果実を加えた「薬草スープ」のようなものだったと考えられています。
一枚の葉が、たまたま湯に落ちて、それを神農が飲んだことで茶の味と効能を知り、それを伝えたという伝承もあるそうです。
また、いわゆる「チャノキ」の茶葉を使わないお茶もあります。
様々な草花、樹木の葉や皮、果実などを湯で煎じて飲みますが、今はそれらも総じて「茶」に分類されます。
茶に分類出来ないものは「煎じ薬」となります。
つまり、漢方薬(煎じ薬)は一つの茶であり、スープであったと言えます。
そのため、「本草綱目」にも茶を薬として記載されています。
漢朝の頃のお茶は、貴族や僧侶が飲む高級品でした。
唐に入ると、庶民にも広まり、近隣の国家への輸出も始まったといいます。
日本に来たのも、この頃と考えられています。
この頃は、蒸した茶葉を固めた「餅茶」が主流だったと考えられています。
これは固形の緑茶です。
それを撞いて潰し、粉にして煮出して飲んだそうです。
恐らく、当時の日本でも同じようにして飲まれたのでしょう。
この頃に「緑茶」以外には無いのか?と言えば、どうやら「黄茶」は存在していたようです。
黄茶の起源は「湖北省」「安徽省」で、唐の頃には作られていたという文献があるそうです。
緑茶は、茶葉を加熱して発酵酵素を不活性化させるため「非発酵茶」になります。
黄茶も「ほぼ緑茶」と考えられるそうですが、寝かせる間に「非酵素的酸化反応」が起こり、いわゆる緑茶とは少し違う風味になるようです。
つまり「酸化発酵」という過程を経るため、緑茶とは違うといわれますが、「高級な緑茶」という考え方もあるそうで、今も論争が続いているようです。
もう一つは「黒茶」です。
これは「発酵茶」になります。
黒茶の代表格は「プーアル茶」ですが、それ以外にも黒茶はあります。
歴史としては、唐朝にはあったという説と、その後の宋朝の頃だという説があります。
どちらにせよ14世紀以前にはあった種類のようです。
プーアル茶などは「餅茶」と呼ばれています。
別名は「団茶」「堅圧茶」です。
唐の陸羽が飲んだものも、これに似たものであったかも知れませんが、発酵過程を経たかどうかはわかりません。
黒茶そのものは、雲南省あたりの少数民族のお茶で、やはり薬として飲まれていたそうです。
一説によると紀元前からあったとも言われています。
漢民族のお茶
雲南などの山岳少数民族のお茶
北方の騎馬民族のお茶
それぞれ歴史があり、交流をして様々な製法、種類が作り出されたのでしょう。
宋朝になると、茶葉そのものを加工し、お湯で煮出す「散茶」が庶民へ流行します。
それまでの餅茶、固形茶はより高級品となり、より貴族に愛されていきます。
更に、粉末化させ日本の「抹茶」のようにして飲んだそうです。
明朝になると、高級なお茶は衰退し、茶葉を蒸すのではなく「釜炒り」させる散茶が主流となります。
さらに、湯にいれて抽出させる「泡茶」が考えられ、それに合う茶器が作られていきます。
中国緑茶で有名な「龍井茶」「烏龍茶」などが出来たのも、この頃だと考えられています。
清朝に入ると、茶文化は一気に開花します。
明朝末期から清朝にかけて、福建省の武夷山に住む僧侶と茶農家によって岩茶などの烏龍茶が発明されたと考えられています。
また、陸路を通じてチベットやロシアへも「Cha」が広まり、海路を通じて欧州へ「Tea」が広まっていきます。
アヘン戦争により、イギリスはインドで紅茶の栽培と輸出を始め、中国の茶産業は衰退していきます。
その頃になると「台湾」が茶の産地として台頭してきます。
《茶の湯》
日本では、緑茶が輸入されて以来、ずっとそれがスタンダードでした。
そのうち、粉茶から抹茶が生まれ、「茶道」が産まれていきます。
現在、中国でも「工藝茶」として茶の作法がありますが、日本の茶道を取り入れたものが、独自に発展したものだと言われています。
古くから作法はあったものの、日本の茶道のような作法はなかったため、取り入れて融合していったようです。
日本の「茶道」は主に「抹茶」がイメージされますが「煎茶道」というものもあります。
煎茶は、いわゆる中国の緑茶です。
江戸時代初期、形骸化していく茶道にたいし、当時の最先端であった中国の煎茶を取り入れ、もっと気楽に談笑して茶を飲むという気風を求めて成立しました。
主に京都の文人達に好まれ、中国の道士のような服を着て飲むということも流行ったそうです。
私は以前、煎茶道を少し学びましたが、その作法は中国の工藝茶ととても似ていました。
細かい点は違いますが、大まかな流れはとても似ていて、茶は中国とは切っても切れないのだと感じたのを覚えています。
《茶と効能》
今回は、茶の歴史的な話に重点を置きました。
1978年に、中国安徽省の大学教授によって、中国茶は大きく6つに分類されました。
加えて、花などを使った花茶を加えた7つの分類が、今の主流となります。
また、茶葉(チャノキの葉)を使わない茶は「茶外茶」として区別されています。
本草綱目などでは、お茶は「身体を冷やす」とあります。
日本でも、夏は温かいお茶を一口すすって涼を取ると言われてきました。
中国では「茶は身体を温めるものと冷やすものがある」と言われます。
これは、いつ、どこで、誰によって言われ始めたのでしょう。
本草綱目第三十二巻「茗」にはこうあります。
「真茶は性が冷であるが、ただ雅州豪山に産するものは温であって、疾に主効がある」
「時珍曰く、茶は苦くして寒であり、陰中の陰あって、沈であり降であり、最も能く火を降す。火による病は、火が降りれば上が清する。しかし火には五火あり、虚実があって、少壮にして胃の健なる人の場合には、心肺脾胃の火が多く盛であるから茶と相宜しく、温飲すれば火が寒気に因て下降し、熱飲すれば茶は火気を借りて昇散する」
というように、「茶の飲み方」で効果は変わるということが書いてあり、茶の製法と、それによる効能効果の記載は見られません。
備急千金要方などにも、薬茶の記載はあります。
しかし、茶葉そのものについての記述ではありません。
中医薬には「炮制」という技法、理論があります。
これは、生薬の「下ごしらえ」のこと。
生薬に対し、熱を加えたり、煮たり、寝かせたりしながら、生薬の性質を変えていくというものです。
それによって、目的に合わせた効能効果が出るように工夫した、先人達の叡智です。
国際中医師の妻いわく、茶は苦寒の性質だけど、炮制されることでその土地の風土に合うものに加工され、風土病などの予防、治療に使われたのではないか?とのこと。
たしかにそうなのかも知れませんね。
長い歴史の中で、時代にあった形に変えながら、今や世界中で愛されている「茶」。
夫婦共にお茶好きなので、今後も茶について古典や歴史を調べていきます。
その中で、新たな発見があれば続きを書きたいと思います。
参考文献
国譚本草綱目(春陽堂)
意釈神農本草綱目(著者:浜田善利、小曽戸丈夫 築地書館)
茶楽(著者:ジョセフ・ウェズリー・ウール ガイアブックス)
中国茶の本(監修:平田公一、永岡書店)
備急千金要方(千金要方刊行会)
中药炮制传统技艺图典(著者:曹晖 吴玢 王考涛 中国中医药出版社)
ものがたり茶と中国の思想(著者:佐野典代 平凡社