こんにちは、和氣香風の鍼灸担当の山本浩士です。
私は、武縁あって幼少期から武術を嗜み始めました。
いろんな訓練を積む中で、ただ肉体だけで強さが決まる訳ではないことに気がつきました。
それは、いわゆる根性論とはちょっと違って、もっと静かで、澄んだ世界、鎮まった意識から感じる世界、そういうものでしょうか。
とても淡々とした世界に私は感じています。
目次
心身一如
古来「心身一如」と言いますが、激しい稽古を繰り返すうちに、確かにそういう世界があるんだなと感じる時がなんども訪れました。
鍼灸師になり、多くの患者さんに鍼を打ってきました。
健康維持の方や、腰痛や捻挫、それから末期癌や難病などさまざまです。
私が国家資格を得て、一番最初の患者さんが末期の大腸癌でした。
その方は、病院の治療はもちろん、湯治や鍼灸など、良いと思えることはなんでも実践される方でした。
ただ、口癖のように「私は今まで本当に良い暮らしができた。世界中旅行にも行けたし、子供達もみな結婚して孫も産まれた。だからね、もういつ死んでもいいの」、このように静かに語られました。
「生きたい」と口では言われますが、心の中では「もう満足、もう十分」、そう思っていたのです。
そうして、容体はみるみる悪化し、何をしても追いつかず、最後は病院で家族全員に看取られるなか静かに息を引き取りました。
きっと幸せに、満足されたまま逝かれたことでしょう。
この時に、あぁ人の心、精神というのは、やはり肉体に強く作用しているんだな、と痛感しました。
実際、それ以後の臨床経験の中で、類似の体験をなん度も体験し、目には見えない精神力と気力の存在を実感するようになりました。
このことは、妻を見ていても痛感することです。
通常ではあり得ないBNPの数値(正常値の50倍〜100倍)であっても、妻は仕事をバリバリこなし、時には台湾へ漢方旅にも行き、とても元気なのです。
これは本当に、精神力の賜物だなと感じてきました。
「自分の心臓でできる限り生きる!」「心不全があっても負けない!」
妻の強い信念、精神力、決意が、もたらした力と結果なのだと今ならわかります。
妻の師には、「あなたは精神力だけで生きている」と言われたようですが、その意味もよくわかります。
2025年に入り、最近の心不全悪化と今後の人生を考えた時に、ついにLVADを植込み、いずれは心臓移植をすることを受け入れました。
その途端、彼女は現状にあった体調へと変わっていったように思います。
今までは平気だった道も、息切れがひどくなり、休憩する回数がみるみる増えていきました。
心が折れると言うのでしょうか、気張って支えていたものがフッと無くなることで、あぁやはり数値なりの心不全なんだな・・・となっていったのです。
担当の医師とも、そんな話をしましたが、医師も「そういうことはあると思う」と述べられました。
もちろん、今は機械(LVAD)を入れた後、心臓移植をした後に、どこへ行こうか!?何をしようか!?と、常に前向きに生きていることにはなんら変わりはありません。
人間は心で生きている、そういう哲学もあります。
妻を見ていて、鍼灸の仕事をしていて、その意味を日々噛み締めます。
神意気力 合一集中
武術には、
「神意気力 合一集中」
という基本の教えがあります。
神は心・精神
意は意念・意識
気は気の力
力は肉体の力
これらを全て一つに集中させよという教えです。
例えば、お茶を飲もうと思うと、まずコップを探して手に取り、冷蔵庫を開けてお茶をコップに入れて飲みます。
この一連の動作にも「神意気力 合一集中」があります。
お茶を飲もうと心(精神)で思います。そう思うからこそ、「お茶を飲む」と意識し、そのために気力を発揮して必要なものを探し、肉体を動かして行動をします。
この時に、例えば仕事のことを考えていたり、次の予定のことに気を取られていたり、スマホの動画に夢中になっていたとするとどうでしょう。
コップを見つけられないかも知れない、お茶をこぼすかも知れない、落としてコップが割れるかも知れない、そもそもお茶を飲むことさえ忘れてしまうかも知れない、このように注意力散漫な状態に陥ってしまいます。
スマホ歩きが危険であるとか、スマホ運転が危険であるとか、飲酒運転が禁止されることとか、ちゃんと理由があるのです。
例えば、鍼灸師が患者の顔色を見る時、問診する時、脈診する時、体に触れる時、鍼を打つ時、全てにおいて「神意気力 合一集中」をします。
そうでなければ、正しく情報も読み取れませんし、良い鍼も打てません。
以前、鬼滅の刃という漫画から「全集中」という言葉が流行りました。
そう、自分の全てで一点に集中するのです。
私自身は、鍼灸学生時代に「1秒だけ本気で鍼先に集中する」ことから自主訓練をスタートさせました。
残心
鍼というのは、ただ鍼を打って(刺して)終わりではありません。
もちろん、それだけでも生理的な反射が起こるので、効果はあるのですが、それでは東洋医学とは言えません。
鍼を刺した後(あるいは刺しながらも)にも、もう少し意識を鍼先に向けておきます。
そうすることで、鍼の刺激が相手の中に染み渡っていくのを感じます。
それは喩えるなら、大事なお客を姿が見えなくなるまで見送ることににています。
あるいは、コンビニの店員さんがお釣りを渡す時に、ちゃんと確認して丁寧に釣り銭を渡すことも同じです。
茶道では「独座観念(どくざかんねん)」という言葉があります。
これは、近江彦根藩主であり幕府の大老もつとめた井伊直弼が説いた茶道の心得のひとつです。
茶会が終わり、挨拶を終え、客が帰っていくのを姿が見えなくなるまで見送り、全ては一期一会であり、もう2度と訪れない今日の茶会に想いを寄せること。
このような心持ちを説いた言葉です。
そうして、今日1日の茶事を振り返り、反省し、帰った客のことを思うこと、これを「余情残心(うじょうざんしん)」とも言います。
武術では、もっと簡単に「残心(ざんしん)」と言います。
文字通り心を残すのです。
武術の場合、それは「何があっても最後の最後まで一寸も油断しない」という心の現れです。
それは「後悔」「未練」「心残り」という一面もありますが、言い換えれば「縁を残す」ということでもあります。
鍼を打って、あとは他のことを考えている、これは縁が切れたと考えます。
治療中は、ちゃんと相手との目には見えない、言葉ではない縁を繋いでいくのです。
これが発展していくと、いわゆる「遠隔気功治療」になります。
今の時代なら、日本にいながら世界中の友人と、ほぼタイムラグなく通信ができます。
衛星を使った無線通信ですね。
人は、それを「精神」と「気力」を使って実践しています。
実は、誰もがなんらかの形で、実はこういう力を日常的に使っているものです。
三宝
気功や医学には「精・気・神」という基礎理論があります。
これを「三宝(さんぽう)」と言います。
精は、物質、物体のことを指します。つまり肉体や細胞です。
気は、目には見えない生命力、回復力、治癒力、気力、そういうものです。
神は、神様ではなく心、精神です。
余談ですが、精は、「精髄」「本質」「最も重要なもの」という意味があります。
神は、目に見えない神秘的な力、霊的な存在、そういう意味があります。
この2つが合わさって精神という言葉ができました。
気功・医学では、精は肉体、神は心です。
この2つを繋ぎ合わせ、留めるもの、それは「気」です。
イメージとしては、体と心の接着剤です。
私が、外部団体での講義でよく話すのですが、スマホをイメージするとわかりやすいと思います。
まず本体そのものがあります。これはつまり「精」です。
次にバッテリーがあり、電力を流すための配線が本体内部に張り巡らされています。
これが「気」の部分です。電気も「電力を帯びた気」ということですから、やはり「気」なのです。
スマホが届き、電源にスイッチを入れますが、それだけではうんともすんとも言いません。
そこにはOSやさまざまなアプリといったデータ、つまり「情報」が必要なのです。
これが「神」です。
この3つ、どれが欠けてもスマホはスマホとして成立しません。
3つとも重要なのです。
だから「三宝」です。
例えば、人の肉体を分子レベルで考えると、水が約60%、タンパク質が約20%、脂質が約15%、ミネラルなどが約5%で構成されています。
(年齢や性別、体格などによって違いがあります)
さらに小さな元素レベルで考えると、酸素65%、炭素18%、水素10%、窒素3%、カルシウム1.5%、リン1%、少量元素0.9%、微量元素0.6%、このように構成されていると言われます。
では、この元素だけを集めれば人間ができるのか?と言えば、きっとそれは難しいでしょう。
例えば我々の細胞には、遺伝子という情報が存在しています。
さらに、神経や筋肉は、生体で産生される電気信号によって機能しています。
やはり「精気神」の3つが必要なのでしょう。
「鋼の錬金術師」という漫画があります。
死んだ母親を生き返らせるために、肉体を構成する元素を集め、そこに自らの血液という情報を混ぜて甦らせようとするのですが、結局失敗するのです。
物語はここから始まっていき、世界の真理についての探究が始まっていきます。
大好きな作品ですが、興味ある方はぜひ読んでみてください。
少年漫画ですが、内容に込められた情報はなかなか深いものがあります。
恬澹虚無
仏教の七情
漢方の七情
五行論に合わせた五情
これらの哲学を学んでいると、本当に人の感情というものは肉体に大きく影響しているなと感じまる。
悲しくて泣いたあとは肺が弱って風邪をひきやすくなる。
嬉しくなると心臓がドキドキする。
思い悩むと胃が痛くなる。
これらも、ちゃんと漢方医学の理論に書いてあるのですが、概ねそのような反応、反射を人の体は示します。
心で思う(思考とはちょっと違う)ことで、そこに感情が生じるものです。
思わなければ、感情も湧かないものです。
そうして感情が動くと、脳神経、自律神経が働いて血圧やホルモンが変調し、内臓や筋肉などに影響を与えのでしょう、良いことも悪いことも、とにかくいろんなことが起こり始めます。
本当に自力で健康になろうと思えば、神経系の興奮が抑え、平常心になることから始まります。
そのためには無闇に感情を動かさないこと。
そのために、思考や意識があちこち飛び回らないこと。
そのために、心が静かで穏やかで落ち着いていること。
そういう状態を身につけるために、人は気功をしたり坐禅をしたりしてきたのでしょう。
黄帝内経には「恬憺虚無、真気従之、精神内守、病安従来」と書かれています。
これは古今東西問わず、未来も変わらず、生命に一貫している一つの真理だと私は思っています。
意は医なり
昔から「医は意なり」という言葉が伝えられています。
日本の戦国時代の医師、曲直瀬道三の書にはこうあります。
「臨機応変ハ医ノ意也」
基礎があって、応用変化が生まれる。
人の行う応用は、人がそうしようと思うことから始まります。
結局、何事も人の心、意識の働きが大きく影響していると言うことですね。
心で思い、体に影響を与え、体が変わることで心も変わっていく。
病気を治したい、健康で長生きしたい、こんな人と結婚したい、仕事を成功させたい、志望校に合格したい、試合で優勝したい、ランチはこれを食べたい、全ては人の心が作った世界です。
良いも悪いも、全ては己の心ひとつ、意識次第だと昔の人は教えてくれました。
思うだけで、どんな病気も治るとか、どんな願いも叶うといったことはありませんが、よくよく自分を思い返すと、確かに思ったように生きてきたなと気がつくものです。
そのことを、今回の妻が手術に至る経緯を隣で見てきて、改めて感じた次第です。
鍼灸師 国際気功師
山本浩士