鍼灸担当の山本浩士です。
みなさん、お茶は好きですか?
私・・・いや、私たち夫婦は大好きです。
家の中には、いろんな茶葉が保管されています。
一般的なものから、かなり珍しいものまで色々あります。
そもそも「お茶」ってなんでしょうね?
日本人にとっても日常的に飲まれる「お茶」ですが、色々と調べていくと、とても深く、広く、果てしない歴史と智恵と経験の世界が広がってきます。
《茶と薬》
「茶は養生の仙薬なり」
鎌倉時代の栄西禅師によって書かれた「喫茶養生記」の一節です。
茶は、遣唐使によって中国から持ち込まれたと考えられています。
8世紀〜9世紀頃の話です。
当時は、宮中での儀礼で用いた程度だったそうですが、鎌倉時代より「健康のために飲む」という認識が広まったと言われています。
その発端が「喫茶養生記」です。
お茶は、四川省あるいは雲南省あたりが発祥だと考えられています。
いつ飲まれるようになったか?は不明のようです。
「茶」という文字が使われるのは「唐」の頃で、それ以前は「荼(と)」「茗(めい)」「荈(せん)」などの文字と呼び名があったそうです。
唐の時代、「茶経」を書いた陸羽によって「荼 」の異体字として「茶」という文字が使われるようになったようです。
「早く取るを茶と為し、晩く取るを茗と為す。或いは一に荈と曰うのみ」
こういう言葉も残されています。
茶経には「茶は南方の嘉木なり」と書かれています。
やはり南方原産のものなのでしょうね。
そうして「茶の用たるや、味は至りて寒にして、飲たること最も精行倹徳の人に宜し」と述べられます。
「お茶の効能は、味は体を冷やすもので、まじめに働き、倹約に努めるような人が飲むと良い」
ということです。
茶に、ある種の「薬効」を認めた記述ですね。
いつからお茶は薬になったのか?
それは、漢方薬の書物のひとつ「神農本草経」に書かれているとよく言われます。
この書は、紀元前にまとめられた薬草学の本です。
その中にある「苦菜」がお茶のことを述べていると考えられています。
自宅にある「意釈神農本草経」を調べると、確かに書いてあります。
しかし、苦菜は茶葉ではないという説もあります。
「味は苦く寒い」と書いてありますね。
陸羽も、神農本草経などを参考にしたのかも知れません。
基本的に「茶葉」は「チャノキ」という植物の葉で作られたものを言いますが、チャノキは「ツバキ科」です。
神農本草経の「苦菜」は、後世に「キク科」と考えられるようになります。
ずいぶん異なります。
何が真実かは今となってはわかりませんが、とにかく古くからお茶は飲まれ、愛されていたのでしょう。
《本草綱目に見る茶》
明の国の医師「李時珍」が書いた「本草綱目」には、「茗」がお茶であるという記載があります。
本草綱目は、以前にちょっと書きましたが、様々な生薬が書かれた書物です。
『苦く甘し、微寒にして毒なし』
と書かれています。
また、
「茶は苦くして寒であり、陰中の陰あって、沈であり降であり、最も能く火を降ろす」
ともあります。
「火、熱がカッカと登った人の場合には、お茶は良い」と書いてあり、逆に「冷えて(寒)、元気がなく(虚)、血が足りないような人はたくさん飲んではいけない」と書いてありますね!
昔は、暑い夏に涼をとるために「熱い緑茶をすすった」そうです。
《良い茶器を手に入れました》
最近、新しい急須を買いました🍵
長崎の「波佐見焼」の急須で、色々と新しい試みが練り込まれています。
まず、お椀のようにコロッとしているので茶葉が開くのがよく見えます。
しかも洗いやすい。
次に、急須の内側に加工がしてあり、お茶挽き器として使えます。
スリコギも付いてました!
緑茶をここですりつぶして、そのままお湯を注いで抹茶が楽しめるわけですね。
アイデア商品です。
私一番のお気に入りは「絞り出し」急須でもあること!!
絞り出しはですねー、めちゃいいんですよ。
最近の急須では「茶こし」を使うのが基本なのであまり見かけませんが、「絞り出し」は茶こしが無くても茶葉が外に出ない構造。
注ぎ口の「ミゾ」がポイントです。
茶葉の重みで絞り出すように、最後の一滴まで絞り出せるんが素晴らしいのです。
さっそく使ってみました!
スーッと均一に注げて、湯もピッと切れて心地良し!
いやーこれいい!!
和氣香風監修の「◯ノ茶」にもピッタリの急須やなー。
店用にひとつ買い足したいくらい。
良い食器、良い茶器、良い調理器具。
これらを見つけて買い集めるのが、最近のひそやかな趣味かも知れません。
今回はお茶について少し書きましたが、これを書くために何冊も書物を引っ張り出し確認をしました。
しかし、情報が膨大で一回では書ききれません。
なんとも奥深い世界です。
だからこそ魅力的!!
今後も、色々とお茶の世界を勉強していきたいと思います。