漢方薬と鍼灸

漢王朝の頃に書かれた医学書「黄帝内経」。

その中の「異法方宜論第十二」には、
王都を中央平原とし、そこを中心に東西南北から独自の医療体系が集まってきたことが伺えます。

東方から砭石(へんせき)、これは石や金属で作られた刃物のようなもので皮膚を切開し、たまった膿を出すような外科処置だと考えられています。
西方からは薬草医学、漢方薬の源流となるものがやってきました。
北方の寒い地域からはお灸、南方の湿気の多い地域から鍼がそれぞれ中央に集まり、一つの医学体系として編集されたのだろうと想像されます。
ちなみに、中央平原では体操や呼吸法、按摩などが生み出されたとされています。

こうして、薬、鍼、灸、気功、按摩などがひとつにまとまることになりました。
そのため、昔から湯液(漢方薬)と鍼灸は車輪のように例えられ、多くの医師たちが病気や症状に併せて組み合わせています。

中国では、湯液(漢方薬)と鍼灸は車輪のように例えられ、多くの中医師たちが病気や症状に併せて組み合わせています。

傷寒論を書き、医聖と讃えられる張仲景(150年頃〜219年頃)は、方薬(漢方薬)に長け、さらに方術(気功、鍼、灸、按摩など)を重んじ、病気によっては併用すべきだと考えていました。
薬王、薬上真人と讃えられる孫思邈(581年頃〜682年頃)もまた、薬、鍼、灸、それに気功を重視しました。

傷寒論を書き、医聖と讃えられる張仲景(150年頃〜219年頃)は、方薬(漢方薬)に長け、さらに方術(気功、鍼、灸、按摩など)を重んじ、病気によっては併用すべきだと考えていました。

薬王、薬上真人と讃えられる孫思邈(581年頃〜682年頃)もまた、薬、鍼、灸、それに気功を重視しました。
「鍼を用いて灸を用いない、あるいは灸を用いて鍼を用いないのはどちらも良医とは言えない。鍼灸を用いて薬を用いない、薬を用いて鍼灸を用いないのは良医にはほど遠い」と著書である備急千金要方などに記しています。

日本では、丹波康頼(912年〜995年)の医心方をはじめ、漢方医学中興の祖と称される曲直瀬道三(1507年〜1594年)、後藤艮山(1659年〜1733年)、吉益東洞(1702年〜1773年)、その他多くの医家たちが漢方薬と鍼や灸の併用を実践してきました。

「鍼を用いて灸を用いない、あるいは灸を用いて鍼を用いないのはどちらも良医とは言えない。鍼灸を用いて薬を用いない、薬を用いて鍼灸を用いないのは良医にはほど遠い」と著書である備急千金要方などに記しています。

日本では、丹波康頼(912年〜995年)の医心方をはじめ、漢方医学中興の祖と称される曲直瀬道三(1507年〜1594年)、後藤艮山(1659年〜1733年)、吉益東洞(1702年〜1773年)、その他多くの医家たちが漢方薬と鍼や灸の併用を実践してきました。

漢方薬は体の中から、鍼灸は体の外から。
和氣香風でも、先達に学びながら
伝統医学の知見を深め、漢方薬と鍼灸
そうして気功の良さをみなさまに
知っていただけるよう努めていきます