鍼灸師の山本浩士です。
「鍼」と言えば「刺すもの(刺さるもの)」と思う人は多いと思います。
鍼灸師の中にも、そういう方は多いものです。
多くの鍼灸師には「刺さなければ治らない」という呪縛があるかも知れません。
沢山鍼を打ったり、パルスを流さなきゃ効かない!
そう思う人もきっといるでしょう。
沢山鍼を打つことも、パルスを流すことも悪いとは思いませんが、それが「鍼だ!」というのは正しくないという事です。
《目的と道具》
そもそも鍼の目的は、
「気血を動かし、経絡を疎通させ、臓腑の働きを調え、健康長寿を得る」
ためと言えます。
鍼は、そのために必要な道具の一つです。
そのため、多種多様な形状をした鍼が作られてきました。
道具が先に存在することはありません。
まず目的が先にあり、そのために道具が作られます。
そうして、道具を使いこなすための技が研鑽されるようになり、それを意味づけるために理論化されていきます。
古代にも、さまざまな鍼道具が作られてきましたが、刺すことを目的としない鍼も多く存在します。
鍼の目的が「刺すこと」ではないからです。
こういう「刺さない鍼」を、日本では「接触鍼」「接触鍼法」などと呼びます。
《皮膚科学が産んだ鍼道具》
鍼は長く、太く、痛みが伴いやすいものです。
それを、何百年以上かけて「痛みの無い鍼道具」が工夫されてきました。
鍼はより細く、短くなり、それを扱うための技術も作られてきました。
そうして、鍼の効果を持続させるため「埋没鍼」「皮内鍼」「円皮鍼」というような技術、道具が考案されてきました。
現代では、さらに進化させ「皮膚に刺さらず、貼っておくことで鍼の効果を出す」なども色々開発されています。
そのひとつが「ソマセプト」です。
https://kakikofu.com/knowledge/shinkyu/ソマセプト/
そうして、最近はこのソマセプトの開発者が、個人的にもっと進化させた道具を考案し発売されているのを知りました。
先日、進化版の「ピソマ」「ハペ」といったシリーズをいくつか購入し、さっそく臨床に取り入れて試しはじめました。
これがなかなか良いのです。
どう良いのか?は言葉や文字では説明出来ませんので、実際に体験してもらう以外にはありませんが・・・
身体に貼り付けることで、皮膚刺激からの神経反射が起き、痛みや炎症を改善させる道具です。
貼っておけば良いので、次に来院するまでの期間も治療効果が継続される・・・ということになります。
しかも、とても弱い刺激ですので、赤ちゃんや、痛みに敏感な方、鍼が苦手な方にも使っていただけます。
最近、和氣香風では「アトピー性皮膚炎」や「癌」などの相談も続いており、漢方薬と鍼灸に加え、炭酸ガス経皮ペーストやピソマなど次世代の道具も駆使していくことで、より良い改善が出来ればと考えています。
《道具を使いこなす》
接触鍼を行うには、まず「鍼が刺せる」ことが大前提です。
鍼が刺せるからこそ、刺さないという選択も出来るのです。
鍼が上手にさせないから接触鍼をしている、というのでは困りますからね。
そのために、長い鍼、太い鍼、血を出す鍼(三稜鍼)などさまざまな道具が自由自在に使いこなせ、目的とする効果がしっかり出せるかどうか?が重要です。
私は「古流柔術」という素手で戦う武術を学んできました。
道場では、長い棒を扱う「長棒術」も併修していきます。
その次に、「半棒」や「小太刀」といった短い武器の扱いを学びます。
長い武器も短い武器も扱える「身体」があって、徒手の「柔術」の技術が活きてくる、そう教わってきました。
この武術の考え方、鍛錬の仕組み、戦闘の感覚、これらがそのまま鍼に適応していると私は考えています。
ですから、接触鍼を扱うためには、太く長い鍼も上手に打てなくてはならないし、太く長い鍼が打てて効果が出せるなら、鍼を皮膚に接触させるだけでも同じ効果が出せる「力」もできてくるはずです。
そうして、その先の領域というのがあって、そこへ進むためにも、まず鍼という道具の扱いをとにかく鍛錬することが求められます。
《矛盾を求める》
武術では、「長い武器は短く扱い、短い武器は長く扱う」という基本的な考え方があります。
長いものを長く使うには当たり前で、それを短く使うという「矛盾」が大切です。
また兵法では、相手との距離が遠い時は相手に「近い」と思わせ、逆に近いときは「遠い」と思わせるのが重要です。
兵士が少ないときは大軍に思わせ、大軍の時はいかに小軍であるかと思わせるのか。
一つの心理戦のようなものですが、陰陽虚実を巧みに扱うこともまた大切なことです。
鍼も同じく、接触鍼をする時は、どこまでも長く、深く打ち込んでいくのです。
刺さっていないかのように深く刺し、ズンと刺さっているかのようで触れているだけ、ということが鍼でも求められます。
とても難しいですが、だから「鍼灸師はまず鍼を打つ身体と技を磨く」ことが大事になるのです。
《能を磨き続ける》
名人から技術を学んでも、その通りには出来ません。
同じ道具、同じ動き、同じ技をしているのに、同じ結果が出ないのです。
どんな業界でも、こういうことは体験されると思います。
なぜできないか?といえば、その名人のような「身体」が無いからです。
見た目は同じ技が出来たとしても、中身が違うので同じにはなりません。
フィギュアスケートで、4回転を綺麗に跳べても、良い点数が出るとは限りません。
飛べた方がいいけど、それだけでは足りないからです。
お芝居でもそうです。
同じ台本を読んだからと言って、アカデミー賞は取れません。
武術の師にも、「お前、それはちゃう!ここでこないするんや!」と言って指一本で投げ飛ばされてきました。
同じようにやっても、僕は同じようには出来ません。
同じ動きの「はず」なんですが・・・「出来たつもり」ですね。
鍼に師も同じでした。
常に「外形は教え、できてきてるから、早くこの内面の感覚をとってくれ!!」と言われてきました。
「技術」と「技能」という言葉があるように、技と術と能はそれぞれ違います。
《勘所を磨く遊び》
私が関西に住んでいた頃、歯科医である親友とさまざまな稽古をして検証をしてきました。
・釣り
・深夜の森でのサバイバルゲーム
・武術の組手
親友と釣りに行った時の話ですが、彼との釣りにはルールがあります。
それは「道具に拘らず、一番やすい子供向けの竿を使う」ことでした。
もちろん、仕掛けや餌は対象の魚に合わせますが、それ以外の道具は1000円くらいで買えるものを使います。
それを持って、夜の釣り場へ行くのですが、周りは当然良い道具を使う釣り師だらけです。
その中で、友人はどの釣り師よりも釣果をあげました。
近所の釣り師たちが「どんな竿や仕掛けですか?」と聞きにくるのですが、道具を見てみんな目を点にしてしまいます。
友人は「だいたい魚がいる場所がわかるから、そこに糸を垂れて、あとは待つだけで勝手に釣れる」
とニヤニヤしながら咥えタバコで釣りを続けました。
武術の組手やサバイバルゲームも同じです。
「ここ!」「来る!」「いま!」
という勘所があって、その時に必要なこtlをのするだけです。
とにかく、そういう事をして遊び続けました。
私の鍼の師も同じでした。
身体をパッと見て、どこが悪く、何が問題で、どこに鍼や灸をすれば良いかを言いました。
また、体をスッと撫でながら「ほらここ!」といってツボを取っていきました。
《道具を自分の身体の一部とする》
よく「このツボはどこですか?」という質問も聞くのですが、形として決まった教科書通りのツボは教えられますが、それが正しいわけでもなく、結局は自分で「ここ!」を掴み取るしかありません。
一種の「感覚」ですが、いわゆる感覚とも少し違います。
説明はできないんですけどね・・・
鍼をしていても、言葉や理屈では説明できない独特の感覚が出てきます。
鍼を刺していないのに、どんどん深く入っていくような、鍼がずーーーっと伸びていくような感覚だったり色々あります。
道具が自分の身体の一部になり、思ったように使えれるようになれば、鍼を刺すかどうかも余り関係が無くなります。
身体を作っていけば「鍼は刺さなければ効かない」という呪縛から解放されるかも知れません。
逆に、必要なら刺し、不要なら刺さない、という自由な選択も可能になるでしょうね。
私もとにかく毎日、鍼灸師になるための身体作りに励んでいきます!!