医術修行時の話

時々、「鍼術を教えて欲しい」と頼まれる事があるのですが、その時にとても困ります。

なぜなら、特別な理論も技術も持ち合わせていないからです。
もちろん、数名の先生から其々の技術を教わってきましたが、僕の核はそこにはありません。

技を教えるのは簡単ですので、時々教えられる範囲のものは教えるようにしていますが、それでは足りないと考えています。

「教えて教えられず、学んで学び取れず」
という世界があり、それが僕の医術の核です。

ただ、この意味を理解して続けてくれる鍼灸師は中々いないだろう・・・と内心で思っています。
代わりに、武術家や気功修行者なら理解をしてくれると思います。

それでも学びたい!
という声が、ポーランドとイタリアからおこり、最近で都内でも極々少数の人に「鍼灸寺子屋」として教え始めました。

 

29歳の時に、思うことあって神戸にある鍼灸専門学校へ通い始めました。
ちょうど同じ頃、縁あってとある鍼灸師と出会いました。

その先生は小柄で細身なのに、僕が20年以上(当時)修行をしてきた武術の技が何一つ通用しませんでした。

出会った時も、「好きな技を好きにかけていいよ」と言われ、最初は遠慮していましたが何も効かせられず、だんだん本気になったのですが、それでも状況は何も変わらずでした。

「そんなアホな!化け物か!?」

と思うと同時に、こんな人が目の前に現れてくれたことに歓喜しました。

先生は、武術家ではなく鍼灸師です。
ただ、ある佛家の医学を学び、参禅修行を積んで来た人でした。

そうして、僕の立ち姿を観て、色々と手直しをしてくれました。

その直後、とある出来事があり、僕がずっと探していた答えと、その先に進める道を一瞬で示してもらえたのです。

同時に、今で外に答えを求めてきたけど、実は自分の中にもう既にあったんや!
と気づいた瞬間でもありました。

僕にとってはどんな高級な物や、お金よりも遥かに価値のあるものでした。

 

それ以来、その先生のもとで医術の修行を始めました。
関東に住む先生なので、休みを利用して西宮から通う日々をスタート。

とはいえ、普通の鍼灸師がするような勉強や技術訓練は一切ありません。
どんな内容かと言えば、「姿勢を作り、心身を統一させ続ける」ということだけです。

・立つ
・歩く
・座る
・養成した力の実証検分

これをひたすら続けます。
例えば、朝10時に合流して公園へ行き、日が暮れるまでそんな事を繰り返すわけです。

そうして、「姿勢を作れば、心も同時に整い、軸が強くなれば、心の軸も強くなる」ことを実体験してきました。

時には、真冬に滝行に連れて行かれたり、先生が修行を積んだ鎌倉にある禅寺に放り込まれたり、とうてい鍼灸の修行とは思えないことをしてきました。

これが、鍼と何の関係があるの??
と思う人が圧倒的に多いのですが、こういう事のほうが臨床力の底上げになってきます。

 

臨床のことを尋ねると、「本屋へ行って好きな本を買えばいい」と言われ、治療技術について尋ねると「今まで学んだ技術をひたすら繰り返して磨けばいい」と言われて終わります。

そうして、
「一番大事なことは理論や技術ではないところにある」
というのを、色んな検証や修行で叩き込まれてきました。

面白いもので、このような修行を続けるうちに、武術も医術も中身がガラッと変わり、僕の思考、意識も随分と変わりました。

どんな難病患者さんが来ても、姿勢を整え、意識を体に集中させ、自然と鍼を打てば相手に響いていくのが実体験されていきました。

武術でも、全ての技が根底から変わっていきました。

その後、他の先生方から治療技術を学ぶ縁もありましたが、その先生方も「まず身体ありき」という先生方でした。

逆に、そうでないものは学ぶ縁もなければ、学びたいとも思いませんが・・・

「小手先の技術や理論に逃げるな!何より自分自身の心身を整えろ!」

「武術で芯を鍛え、医術で柔らかく周りを包む「内剛外柔」を忘れるな!」

「全ての技術の前に、まず己の身体ありきだ!」

「他人に鍼を打つのは簡単だが、そもそも鍼を打てる身体なのか?」

これが、医武道の先生との日々でした。

そうして、師から学んだことが、その後とても役立っていくのです。

今は、さらに修行を深めるため、中国人老師から気功や佛法を教わりながら、修行を続けています。

– くま先生 –

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